神がかり的なものはしっかりと情報を掴み整理すれば神の奇跡ではないことが分かります。
だからといって神や信仰を否定するわけではありません。
神は存在しなければならないと思っています。
人々の心の安定や拠り所は必要です。
その存在は大きく力強く神秘的なほど効果があります。
多くの人は他人の噂を共有することで仲間意識を高めます。
しかしそれは他人を犠牲にし争いを生みます。
代わりに信仰を共にすることで人々を犠牲にすることなく助け合うことができます。
では神が信仰を作るのでしょうか。
始まりの神が信徒を作るのではありません。
始祖にあたる信徒が神の種を作ります。
信徒の善行は神の善行となり信徒の努力は神の奇跡となり種は芽吹きます。
信徒の教えを使徒が広め神の芽は育っていきます。
始まりの神は神という名の依り代であり器であり信徒の教えの結晶です。
始祖の信徒は自らの善行を神の力と説きますが人を助けたならそれは信徒であり奇跡を起したならそれは始まりの神ではなく信徒です。
希望を与えるならそれは信徒の教えです。
依り代である始まりの神は何も求めず何もしません。
それに対して悪魔(悪意)は自らの信徒が居なくとも一人ひとりに囁やきかけ誘惑し、割高な対価を求めつつ手を差し伸べます。
悪魔は非常にまめで心の隙を見逃しません。
神を否定すれば悪魔は人の心を闇で埋め尽くし、神を肯定すれば人は心に光が差す余地を残します。